デザインされたプロダクトも、大量生産の日用品も、暮らしを前にするとどれも等価に存在し、生活者によって新たな輪郭が作り出されていく。そうであるならば、暮らしとは生活者による生産的な行為なのかもしれない。等価となったモノたちは流動しながら一つの大きな存在へと一体化されていく。その様は、モノが暮らしの波に呑み込まれるようだ。